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信玄の隠し湯、風林火山の舞台を巡る

その優れた効能から、400年余の時を経た後も多くの人々から注目を集めているのが”信玄の隠し湯”です。

武田の武将が湯に浸かりながら何を思ったのか?歴史に思いを馳せながら、名湯を巡ってみてはいかがでしょうか。

その昔、傷ついた将兵を癒した信玄の隠し湯が今も残る

武田信玄は、戦国時代に天下統一を目指した甲斐の武将です。

「人は城、人は石垣、人は堀―」と謳われるように、信玄は甲斐の国を、そして家臣をこよなく愛していました。

山梨の温泉といえば「信玄の隠し湯」がその代名詞のようにしばしば使われます。

信玄は闘いで傷ついた将兵たちを温泉場で療養させるため、温泉の掘削や温泉場の確保などに腐心したといわれています。

温泉療養は”人”をいたわる信玄ならではのアイデアに違いないと思います。

そうした隠し湯が、山梨県内に9ヶ所ほど点在しています。

この記事ではその中でも泉質・効能豊かな歴史的秘湯を3ヶ所紹介します。

そんな隠し湯を、ぶらり気ままに一人旅するのも愉しいと思いますよ。

川浦温泉 山県館

奥秩父の山々から流れ出た水を集めている笛吹川の河畔に建っているのが「信玄の隠し湯」ひとつ、川浦温泉山県館です。

山県館の先祖は武田24武将の一人、山県三郎右兵衛尉昌景です。

現在の当主は17代目です。

信玄公の命により川浦温泉が誕生したので、信玄公開発の湯です。

山県館のロビーには湯屋の開発を命じた信玄公の「下知状」が飾られています。

下知状の日付は永禄4年(1561年)とあるので、上杉謙信との川中島の合戦(4回目)で死闘を繰り広げた年です。

信玄が開発を命じた湯は今も沸々と湧いています。

湯量は毎分1250リットルと豊富です。

泉質はアルカリ性単純泉でPH9.2です。

肌にまとわり付くような柔らかなお湯です。

笛吹川の渓流を眺めながら入浴が楽しめる「信玄公岩風呂・渓流雅の湯」は、岩と檜の巨木を大胆に使った露天風呂で源泉掛け流しです。

混浴ですが、女性専用時間も設けられています。

11月には渓谷が次第に色づきはじめ、彩りが華やかです。

渓流雅の湯は、紅葉見物の一等席です。

湯船は他に大浴場・せせらぎ之湯(露天風呂付)、薬師之湯(露天風呂付)、露天風呂付貸し切り風呂も2ヶ所あります。

これらもすべて源泉掛け流しの贅沢な湯船です。

散策には西沢渓谷がオススメです。

見事な滝が多く、吊り橋、清流とのコントラストが絶妙です。

気ままに歩けるので一人旅にはオススメです。

西沢渓谷

西沢山荘前から遊歩道に入ると、やがて二俣吊り橋を渡ります。

アップダウンを繰り返しながら渓流を遡ると、「三重ノ滝」「竜神ノ滝」「貞泉ノ滝」と続きます。

中でも見事なのが「七ツ釜五段ノ滝」です。

コバルトブルーの水が五段になって流れ落ちる様は、まさに自然の造形の極みです。

10月中旬には周囲の木々が紅葉し、渓谷に彩を添えます。

泉質の異なる湯巡りも信玄の隠し湯の醍醐味

増富ラジウム温泉 不老閣

秩父多摩甲斐国立公園の一角、瑞牆山の麓に湧く増富ラジウム温泉も信玄の隠し湯のひとつです。

合戦で負傷した兵のほか金山採掘の人たちが湯治場として利用していたそうです。

現在も金山平という地名が残っています。

戦国の世から語り継がれてきた信玄の隠し湯は、世界でも屈指のラジウム含有量を誇る放射能泉でもあります。

天然岩風呂がとくにラジウム含有量が多いようです。

湯は岩盤から直接湧き出ています。

岩風呂は宿の裏手を5分程登った山中の湯小屋にあります。

覆いかぶさる大岩の下に数人が入れば一杯になってしまう小さな湯船があり、底からひっきりなしに気泡が上がっています。

湯は鉄分を多く含んでいるためか赤く濁り岩盤も同様で成分が染み付いてしまっているようです。

泉温は20度ほどなので、加熱した上がり湯と交互に入浴します。

飲泉も可能です。

口に含んでみたら、渋みと苦味が混在した複雑な味でした。

一人で来ても温泉に浸かって元気になった者同士、お友達を作って帰る方も多いようです。

帰るときに二人で次回の予約をする方もいるそうです。

放射能泉の恩恵は絶大のようです。

下部温泉 古湯坊源泉館

山梨県の南部、日蓮宗の総本山身延山久遠寺のある身延町の山間で湯煙を上げているのが下部温泉です。

木造3階建ての宿も多く、昔ながらの温泉場といった風情です。

温泉街には風林火山の旗がなびき、信玄ゆかりの温泉地にふさわしい趣を醸し出しています。

信玄が傷を癒したのは、下部川に架かる神泉橋の近く古湯坊源泉館の別館・神泉にある「かくし湯大岩風呂」です。

信玄が川中島の合戦で負傷した後に、下部に療養に来たと伝えられています。

半地下にある大岩風呂は畳40枚分ほどの大きさです。

周囲を岩で囲まれていて、洞窟風呂のような雰囲気です。

湯底には松の板が敷き詰められていて、湯はその下の岩盤の隙間から湧き出しています。

湯の温度は30度と温かいです。

混浴ですが、ガーゼのバスタオルも用意されています。

湯船の底から静かに湧き出す温泉は、まさに源泉掛け流しです。

無色透明のアルカリ性単純泉が惜しげもなく湯船から流れ出ます。

湯質は優しく、さらっとした感じです。

長湯をしながらおしゃべりに花を咲かせるのが「かくし湯大岩風呂」の入浴法です。

信玄の湯浴みから450年以上たった今も、変わらずにコンコンと湧き出しているのですから感慨深いですね。

その他「信玄の隠し湯」

山梨県

湯村温泉(山梨県甲府市)

『甲陽軍鑑』に拠れば、戦国時代の天文17年(1511年)に、武田晴信(信玄)は信濃小県郡の村上義清との上田原の戦い後に30日間湯治し、信玄の隠し湯で志磨の湯と呼ばれていたそうです。

また、武田家の足軽大将で後代に武田二十四将の一人に数えられる多田三八郎による天狗退治の伝説があり「鬼の湯伝説」と呼ばれています。

積翠寺温泉(山梨県甲府市)

積翠寺近在の要害山城は、『高白斎記』に記される武田信玄生誕の地でもあり、現在も同寺院には信玄の産湯と伝わる井戸が残っています。

信玄の本拠地であった躑躅ヶ崎館(現、武田神社)の北方に位置しています。

西山温泉(山梨県南巨摩郡早川町)

天平宝字2年(758年)、吉野に退位していた孝謙天皇はある日夢枕に白髭の翁が立ち、「甲斐の国、白鳳の深山に、諸病に効ある霊泉あり」と告げたとされています。

孝謙天皇はお供を連れて当地を訪れ、二十日間の湯冶を行っています。

戦国時代には武田信玄だけでなく徳川家康の隠し湯であったともいわれています。

赤石温泉(山梨県南巨摩郡富士川町)

武田信玄による金山開発の際に発見されたといわれています。

岩下温泉(山梨県山梨市)

岩下温泉は山梨県でもっとも古い温泉と言われていて、温泉のすぐ隣にある走湯(そうとう)神社には少名彦命が祀られています。

金峰山を本宮とする金桜神社(甲府市)の縁起に、この走湯神社の記載あることから、岩下温泉は少なくとも1700年以上前から存在していたことになります。

浴場は28℃の源泉をそのまま利用していて、半地下にあり混浴です。

田野温泉(山梨県甲州市)

湯は無色ですが、硫黄臭のするアルカリ性の温泉で、源泉は飲用できます。

以前、石川館、石黒館という旅館が2軒ありましたが廃業しています。

石黒館跡は、市営の福祉施設「大和福祉センター・田野の湯」となっています。

長野県

松代温泉(長野県長野市、加賀井温泉とも)

加賀井温泉(長礼温泉とも)という名称は、文化2年に当時の加賀井村の村人が松代藩に願い出て温泉を開設したことによるものです。

いったん廃れましたが、文政5年に再び願い出て再興しています。

現在は「一陽館」が加賀井温泉の名を用いています。

白骨温泉(長野県松本市)

鎌倉時代にはすでに湧出していたと伝えられています。

白骨温泉はかつて「白船」とも呼ばれていました。

中里介山の小説、大菩薩峠の中で「白骨」と呼ばれてから、現在の呼称が定着しました。

横谷温泉(長野県茅野市)

リウマチ、神経痛、皮膚病、婦人病、五十肩、打ち身、むち打ち症などによいとされています。

鉄分が多い茶褐色の温泉は、神経痛や婦人病などに効能があるそうです。

江戸時代から諏訪藩御用達だった湯を守り続ける一軒宿の「横谷温泉旅館」が渋川沿いに建っています。

小谷温泉(長野県北安曇郡小谷村)

開湯は1555年と言われています。

武田氏の家臣岡田甚一郎による発見と言われています。

古くは農閑期の湯治場として賑わっていました。

渋温泉(長野県下高井郡山ノ内町)

開湯伝説によれば、1300年前に行基が発見したとされています。

武田信玄の寄進によって温泉寺が開かれ、川中島の戦いの折には傷ついた兵士を療養させた場所です。

江戸時代には、佐久間象山、小林一茶、葛飾北斎などの文人がこの地を訪れています。

静岡県

梅ヶ島温泉(静岡県静岡市葵区)

古文書による湯治記録で徳川家康、徳川秀忠の名が見られることから、江戸時代にはかなり有名な温泉地であったことがうかがわれます。

当時は立地上、身延に近いことから甲州との峠越えの交易が盛んで、湯治客も甲州経由が多かったようです。

岐阜県

平湯温泉(岐阜県高山市)

山県昌景軍が飛騨攻めの最中、峠越えの疲労と硫黄岳の毒ガスにより疲弊していたところを、白猿によって教えられた温泉につかって疲労を回復した、という開湯伝説が残っています。

謙信の隠し湯

燕温泉(新潟県妙高市)

開湯伝説によれば、弘法大師の発見とされています。

温泉街として開発が計画されたのは明治8年からですが、実際に温泉街が開かれたのは明治28年です。

関温泉(新潟県妙高市)

開湯伝説によれば、弘法大師の発見とされています。

戦国時代は「関山の湯」という名前で上杉謙信の隠し湯でした。

温泉地として整備され始めたのが享保年間です。

蓮華温泉(新潟県糸魚川市)

上杉謙信が南西2.8 キロメートルの雪倉岳の東山腹に雪倉銀山を開発した際に、温泉が発見されたと伝えられています。

温泉名の由来は、白馬岳の越中・越後側の名称・蓮華岳によります。

貝掛温泉(新潟県南魚沼郡湯沢町)

開湯伝説によれば、白雲禅師による発見であるとされています。

室町時代の京都相国寺の僧・万里集九の詩文集「梅花無尽蔵」に紹介されています。

生地温泉(富山県黒部市)

芦崎にある生地温泉たなかやと経新にある生地第一温泉(大坪旅館)の2軒の温泉宿がありました。

生地温泉たなかやは上杉謙信による発見、という開湯伝説があります。

猿ヶ京温泉(群馬県利根郡みなかみ町)

温泉の発見は約400年前とされています。

開湯伝説によれば、猿が大やけどを負った子供を温泉に入れて助けた、とされています。

また、猿ヶ京の地名は上杉謙信の命名とされています。

奈女沢温泉(群馬県利根郡みなかみ町)

地元では古くから「湯沢の湯」と呼ばれ、その発見は猟師たちによってもたらされたものと考えられています。

明治のはじめ、地元の僧・神職にして教育者でもあった上杉正が源泉付近に小屋を建て、浴槽に泉水を汲んで沸かし、入浴したそうです。

「上杉の隠し湯」として歴史を秘め、埋もれたままになっていた温泉を再開発したそうです。

まとめ

豪快なイメージの強い戦国武将ですが、実は人のぬくもりに溢れていた繊細な面を持ち合わせていたみたいです。

その象徴が武将たちの”隠し湯”です。

将兵や領地内の民のことを労わる優しい気持ちが感じられます。

あなたも隠し湯で、そんな温かな戦国武将の男気に浸かってみてはいかがでしょうか。


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