日本一の山城備中松山城と麓に広がる武家屋敷を探訪する

かの黒澤明もロケを断念したという険しい山城と、高梁川沿いに広がる優美で格調高い城下の武家屋敷を散策する。

備中松山城

備中松山城は幾多の戦いの歴史の興亡を秘め今も深い山中にそびえ立つ山城です。

悲劇の城主といわれた三村家親は、元親の時代(天正年間)に、大松山、天神の丸、相畑、小松山、馬酔木の丸などに多くの出城や砦を築き、松山城の規模を大きく広げました。

その遺構は今日でも臥中山全域にわたって残っています。

石垣の上に建つ白壁の天守閣は山城の代表的存在を誇っている

標高430メートルの臥中山の頂に建つ松山城の天守閣は、現存する天守を持つ山城としては、最高所にあって、戦国時代からの歴史の興亡をいく度となく繰り返してきました。

その歴史の跡を踏みしめるようにして、一歩一歩と登っていきます。

急な山道のかたわらにコナラ、ソヨゴ、アベマキなどの樹名を記された木々の間に、「登城心得、あわてずゆっくりと進むべし」などの看板が立っていて、歩みを止めがちな足をはげましてくれます。

石垣が切り立った巨岩壁の間に、漆喰塗りの白壁の続く石段を昇り詰めると、本丸を正面に仰ぐ二ノ丸跡の広場におどり出ます。

眼下には高梁川に沿う城下町が広がっています。

臥中山へ最初に城を築いたのは、仁治元(1240)年、三浦氏一族の秋庭三郎重信であったと伝えられています。

その後いく多の変遷を経て、毛利方の三浦家親、元親が入って要塞堅固な松山城に築き上げます。

しかし、のちに織田信長方についたため、小早川隆景を大将とする毛利方八万の大軍に攻められ、天正3年5月に落城します。

元親は菩提寺の松連寺において自刄します。

備中一円に勢威を誇った三村氏は、ここに悲劇の膜を止じるのです。

松山城の南山麓には御根小屋御殿跡があります。

寛永18(1641)年、水谷伊勢守勝隆によって設けられました。

御根小屋はふつう御城と呼び、政治はここで行われました。

登城するというのは、ここに出仕することで、山頂の天守閣へはお殿様もその後は登らなくなったそうです。

漆喰壁の武家屋敷とベンガラ街を歩く

御根小屋跡の前から東へ続く露地が石火矢町ふるさと村に指定されている武家屋敷通りです。

中ほど北側に旧折井家、旧埴原家が館内を開放しています。

漆喰壁の美しい長屋門を入って、江戸時代中期から後期へかけての120石から160石取りの武士の住宅があります。

思いのほかに質素な生活ぶりを垣間見ると、当時がそぞろに偲ばれます。

武家屋敷通りの土塀の連なりが終わると左手に青苔のびっしり付いた頼久寺の石段があります。

小堀遠州の作庭になる、愛宕山を借景にした蓬莱式枯山水の見事な庭園を見学できます。

紺屋川沿いの道を歩くと、県下最古のキリスト教会堂や、名物の「ゆべし」の店、観光物産館などがあります。

伯備線の北側には、龍徳院、巨福寺や「男はつらいよ」第8作「寅次郎恋歌」のロケ地であった寿覚院、同じく第32作の「口笛を吹く寅次郎」のロケが行われた薬師院、松連寺のお城を思わせるようなみごとな石垣の寺があります。

吹屋ふるさと村には、大野呂の庄屋屋敷である広兼邸があります。

みごとな石垣の上の、お城のような建物は、江戸時代末期のものと伝えられていて、桜門、不審番部屋、下男・下女部屋、母屋、みそ蔵、土蔵などまさに豪商の館です。

ベンガラ館、陶芸館、ベンガラ格子に妻入りの商家、民家が続きます。

石州瓦の美しい吹屋は、重要伝統的建造物群保存地区になっています。

200年余にわたるベンガラ商家の典型にひと時の楽しみが味わえます。

備中松山城下の見どころ

石火矢町ふるさと村

格式のある門構え、土壁の続くのが石火矢町ふるさと村です。

江戸時代中期の建築として貴重な存在となっている石火矢町の武家屋敷通りは、長屋門、書院造り、数寄屋造りなどの昔の形式を各所に残しています。

近習役や番頭役などの武士の生活がそぞろ偲ばれます。

もの音ひとつしないしない静けさで、江戸時代の人になった気分が味わえます。

高梁市武家屋敷、旧折井家、旧埴原家の共通券は400円です。

9時~17時まで見ることができます。

年中無休ということですが、12月29日~1月3日はお休みです。

頼久寺

頼久寺の「きれいさび」の酔を表す遠州作庭の優美さには感激すると思います。

臨済宗永源寺派に属する頼久寺は、永生年間(1504)松山城主だった上野頼久によって整備されました。

大永元年に逝去したのちに、その名をいただいて頼久寺としたと伝えられています。

元和5(1619)年にこの地に入った小堀遠州が作庭しました。

昭和49年に国の名勝指定を受けています。

備中高梁駅から徒歩15分のところにあります。

9時~17時まで300円で見ることができて、無休です。

吹屋ふるさと村

吹屋ふるさと村には、石州瓦とベンガラ色の古い家並み、伝統的建造物群があります。

一筋の道をはさんで、格子や堀などすべてにベンガラ色の古い町並みを見せる「吹屋ふるさと村」は、時代を一つ飛び越えた感じの別世界が展開されています。

旧片山家住宅、郷土館、土産店、食堂などが並んでいます。

JR備中高梁駅からバスで1時間くらいかかります。

吹屋ふるさと村観光終バスは備中高梁駅9時40発で、「広兼邸」⇒「笹畝坑道」⇒「ベンガラ館」⇒「ベンガラ街並み散策」⇒「紺屋川筋」とまわり、備中高梁駅に15時40分に着きます。

料金は800円、土日祝日の運行です。

松連寺・薬師院

城郭づくりそのままの石垣の松連寺は松山城の砦として位置づけられていました。

武家諸法度の厳しかった江戸時代、松山城の修理が難しかったそうです。

その砦の位置づけで築かれたと伝えられているのが松連寺です。

畑地の先にお城を思わせるような石垣のみごとなのが薬師院です。

薬師院は勾配のきつい大屋根など、随所に桃山風の特徴がよく表れています。

備中高梁駅から徒歩15分くらいです。

中には入れませんが外観のみ見学できます。

商家資料館

商家資料館は享保年間の繁栄を伝える豪商邸です。

醤油製造販売で財を築いたといいます。

新町通りに面して建つ高梁では屈指の豪商であった池上邸を資料館として開放しています。

享保年間に小問屋にはじまり、両替商、高梁川を船行する船主、さらに醤油製造販売業として繁栄した商家でした。

備中高梁駅から徒歩20分で、9時~17時まで300円で見学できます。

12月29日~1月3日はお休みです。

広兼邸

ベンガラ製造で巨大な富を築いた広兼邸は、大野呂の庄屋です。

桜門造りの城郭を思わせる石垣が特徴です。

江戸時代末期に建てられたという邸宅は、かつての富豪ぶりをたたえています。

庭園には水琴窟が設けられ、長屋、土蔵3棟、広大な母屋など目を見張ります。

映画「八ツ墓村」のロケ地にもなりました。

広兼邸には吹屋ふるさと村で紹介した「吹屋ふるさと村周遊券」で見学コースの一つとして行くのがオススメです。

備中松山の「寅さん」も愛した味

高梁川にそそぐ紺屋川沿いの道は「日本の道100選」に選ばれた、寅さんも愛した道です。

桜と柳の続くそぞろ歩きにいい並木道です。

高梁川はカルスト台地から流下しているので、カルシウムを豊富に含み、アユは昔から名産です。

市内の食堂の「魚富」で味わうことができます。

また、魚富ではアユの甘露煮をお土産として買うことができます。

真空パックされているので日持ちも問題ありません。

一人で泊まれる備中松山の宿

油屋旅館

高梁の城下町の歴史そのまま刻み込んだような旅館が「油屋旅館」です。

国道180号に面した方谷橋たもとにあります。

木造3階建ての建物の表にヨシズをたらしているのが目印です。

鯉の泳ぐ池を配した中庭を囲み、書院造の客室が歴史を思わせる佇まいを見せています。

油屋旅館はアユづくしの料理を名物にしていて、書院造りの部屋でのアユ料理は至福のひと時です。

古くから有名文人、芸能人などの訪れが多いですが、最近は休みがちなので、利用するときは問い合わせ(0866-22-3072)をしてからにしてください。

全国の城と城下町が楽しめる町

白石城(宮城県白石市)

蔵王連峰を彼方に望む、白石川に沿った伊達家62万石の南の要として大きな存在であった家老の片倉家が白石城を260余年にわたって守ってきました。

その城をコの字型に曲折する奥州街道沿いの城下町として、足軽の家など家臣団の屋敷や町人町、商人町として栄えてきました。

白石城外堀沢端川に面した武家屋敷の旧小関家住宅などは茅葺屋根を残した木造平屋建てです。

白石温泉は江戸時代から伝わる伝統のある名産物です。

上山城(山形県上山市)

上山城は1982年に再建されています。

3層4階の天守閣は郷土資料館になっています。

上山城の城下町は羽州街道と米沢街道の分岐点です。

城下町とともに宿場町、温泉町としても発展しました。

元和8(1622)年に上山藩領となり、寛永5(1628)年からは土岐氏が封ぜられ温泉町、湯治場として発達しました。

寛永時代は温泉旅籠屋、商人宿、木賃宿などに出羽三山参詣者の泊まる行人宿などがあったと伝えられています。

城の周辺には武家屋敷も残ています。

高遠城(長野県伊那市)

高遠城は武田信玄の武将・山本勘助の築城と伝えられています。

苔むした石塀や堀跡に昔が偲ばれます。

戦国時代の山城として三峯川と藤沢川の合流する段丘の突端断崖上に築かれています。

東側は平地に続いているので、平城の様相を見せています。

本丸を中心に二ノ丸、三の丸など各所に空堀を巡らせています。

天正10(1582)年3月織田信長に攻められた仁科盛信がよく防戦しましたがあえなく落城し、武田氏の落日の序曲となりました。

桜の名所としても有名です。

萩城跡(山口県萩市)

萩城跡は桜の名所として有名です。

春にはソメイヨシノ600本や天然記念物のミドリヨシノなどが咲き競います。

毛利氏36万9000石の城下町として知られていますが、一般には明治維新の立役者、吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文などを輩出した、長州の藩都として著名です。

石垣や堀、礎石を残す城跡は指月公園となっています。

城下には古い武家屋敷をはじめ、藩主御座船や水軍の船を格納した御船倉、萩焼の窯元や萩焼資料館などがあります。

岡城阯(大分県竹田市)

名曲「荒城の月」を生んだ岡城阯は、切り立った断崖に石垣をみせ、歴史公園になっています。

大分県南西部にあって、古くから豊後の政治、経済の中心都市として発展してきました。

稲葉川と白滝川の合流する丘上に、みごとな石垣を築いた岡城が築かれ、文禄3年に中川秀成が入城し、明治維新まで続きました。

江戸末期の文人画家であった田能村竹田の生家が市街のはずれにあり、滝廉太郎の記念館も武家屋敷の街の一角にあります。

まとめ

山の頂に建つ備中松山城は、天守閣にたどり着くまで険しい山道を通らなければなりません。

しかし、そこから見下ろす高梁の城下町は風情のある街並みを見せてくれます。

また、秋から春にかけて、条件がそろうと早朝に雲海を見学することができます。

雲海に浮かぶ備中松山所の姿は幻想的で、隠れた撮影スポットとして人気があります。

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