世界文化遺産【法隆寺】特徴とその魅力 肌で感じる歴史という空気

法隆寺の伽藍(建物)一覧

国宝の伽藍

  • 西院伽藍:中門(国宝)
  • 西院伽藍:金堂(国宝)
  • 西院伽藍:五重塔(国宝)
  • 西院伽藍:廻廊(国宝)
  • 西院伽藍:経蔵(国宝)
    経蔵は経典を納める施設として建立されましたが、現在は、天文や地理学を日本に伝えたという百済の学僧、観勒僧正像(平安時代)を安置しています。
    また堂内には三伏蔵(他は金堂内と大湯屋前)の一つがあり、法隆寺を再興できるほどの宝物が収められていると伝えています。
  • 西院伽藍:鐘楼(国宝)
    鐘楼は925年(延長3年)に大講堂とともに落雷により焼失し、現在の鐘楼は経蔵の様式にならって再建されたものです。
    この鐘楼の中につるされている梵鐘は奈良時代前期の銅鐘(重文)で、現在では年中行事で撞かれています。
  • 西院伽藍:大講堂(国宝)
  • 東院伽藍:夢殿(国宝)
  • 東院伽藍:伝法堂(国宝)
  • 東院伽藍:鐘楼(国宝)
    この鐘楼は袴腰(はかまごし)と呼ばれる形式の鎌倉時代の建物で、内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘(ぼんしょう)がつるされています。
  • 南大門(国宝)
    南大門は法隆寺の玄関にあたる総門です。
    三間一戸の八脚門(やつあしもん)で現法隆寺建立時には中門前の石段上に建っていましたが、寺域の拡大により現在の場所に移されたと言われます。
    創建時のものは、1435年(永享7年)に焼失し、1438年(永享10年)に現在の門が再建されました。
  • 聖霊院(しょうりょういん)(国宝)
  • 東室(ひがしむろ)(国宝)
  • 三経院及び西室(国宝)
    三経院は、聖徳太子が勝鬘経・維摩経・法華経の三つの経典を注釈された「三経義疏」にちなんで付けられた名称で、西室の南端部を改造して建てられました。
    西室では毎年、夏安居の3ヶ月間(5月16日~8月15日)、この三経の講義を行っています。
  • 食堂(じきどう)(奈良時代、国宝)
    食堂はもともと政所という法隆寺の寺務所でしたが、平安時代に入って、僧が食事をする食堂(じきどう)として使われるようになりました。
    食堂の南側にある細殿と軒を接して建っていることから「双堂」とよばれる奈良時代の建築様式です。
  • 綱封蔵(こうふうぞう)(国宝)
    綱封蔵は寺宝を保管するための蔵です。
    この蔵は「双倉」といわれる様式の建物です。
    もともと正倉院と同じ勅封の蔵でしたが、諸寺を管理する「僧綱所」に蔵の開閉が委ねられたことから、このように呼ばれています。
  • 東大門(国宝)
    「中ノ門」とも呼ばれる東大門は、西院と東院の間に建っています。
    かつては鏡池の東側に南向きに建っていたようですが、平安時代ごろに現在の場所に移されたといわれています。
    この門は珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建物の一つです。
  • 西円堂(国宝)

重要文化財の伽藍

  • 東院伽藍:絵殿及び舎利殿(重要文化財)
    絵殿の東側は舎利殿と呼ばれ、聖徳太子が2才の春に東に向って合掌され、そしてその掌中から出現したという舎利(釈迦の遺骨)を安置する建物です。
    現在では1月1日から3日間「舎利講」という法要が行われ、その御舎利をご開帳(奉出)しています。
    また西側には、聖徳太子一代の事跡を描いた障子絵が納められた絵殿があります。
  • 東院伽藍:南門(重要文化財)
  • 東院伽藍:四脚門(重要文化財)
  • 西園院客殿(重要文化財)
  • 西園院上土門(あげつちもん、重要文化財)
  • 西園院唐門(重要文化財)
  • 大湯屋(重要文化財)
  • 大湯屋表門(重要文化財)
  • 新堂(重要文化財)
  • 妻室(つまむろ)(平安時代、重要文化財)
  • 薬師坊庫裏(重要文化財)
  • 上御堂(重要文化財)
  • 上御堂は奈良時代、天武天皇の皇子である舎人親王の発願によって建立したと伝えていますが、989年(永祚元年)に倒壊して、現在の建物は鎌倉時代に再建されたものです。
    堂内には平安時代の釈迦三尊像(国宝)と室町時代の四天王像(重要文化財)が安置されています。
    このお堂は毎年11月1日~3日まで特別開扉を行っています。
  • 地蔵堂(重要文化財)
  • 細殿(ほそどの)(鎌倉時代、重要文化財)
  • 旧富貴寺羅漢堂(重要文化財)
  • 中院本堂(重要文化財)
  • 宝珠院本堂(重要文化財)
  • 律学院本堂(重要文化財)
  • 宗源寺四脚門(重要文化財)
  • 福園院本堂(重要文化財)
  • 北室院本堂(重要文化財)
  • 北室院太子殿(重要文化財)
  • 北室院表門(重要文化財)

その他の伽藍

  • 大宝蔵院
  • 大宝蔵殿
  • 護摩堂

法隆寺の仏像一覧

国宝

  • 銅造釈迦如来及両脇侍像 止利作(金堂安置)
    端厳ななかに穏やかなほほ笑みをたたえた釈迦三尊像(鞍作止利(くらつくりのとり)作)の精緻な光背の裏面には、622年(推古30年)に聖徳太子が発病して薨去されるにあたって、その病気平癒と成道を願って造られた太子等身の像が、その翌年に止利仏師によって完成したことなどが刻まれています。
    つまりこの像は、釈迦の像でありながら聖徳太子その人の像でもあるわけで、法隆寺が太子菩提の寺でもあることを物語っています。
  • 銅造薬師如来坐像(金堂安置)
    金堂東の間に安置される薬師如来像はその光背裏面の銘文に法隆寺創建の由来が刻まれています。
    それによれば太子の父、用明天皇が自らの病気平癒を願い、寺と薬師如来を作ることを請願しましたが完成を見ることなく崩御しました。
    その後推古天皇と太子がその遺志を継ぎ、607年(推古15年)完成させたと記されていて、これが薬師如来を本尊とする創建法隆寺であるとされています。
    しかし「日本書紀」天智9年の条に法隆寺が焼失したと記されていて、現在の法隆寺はその後の再建と考えられています。
  • 木造毘沙門天・吉祥天立像(金堂安置)
    吉祥悔過の本尊として、毘沙門天像とともに釈迦三尊像の左右に安置されています。
    法隆寺では吉祥悔過を大講堂で行っていましたが、1078年(承暦2年)に両像が作られ、金堂で執り行われるようになりました。
  • 木造四天王立像(金堂安置)
    須弥壇の四隅に置かれた四天王像は、現存する日本最古の四天王で、全体の直線的な表現は止利仏師の様式に共通し、後世の威嚇的な四天王像とは異なった物静かな彫像です。
  • 塑造塔本四面具 78躯・2基(五重塔安置)
    五重塔最下層の心柱の四方には塑土で洞窟のような舞台を造り、釈迦に関する四つの説話から四つの場面を塑像の小群像で表しています。
    塔本塑像と呼ぶこの群像は塔の完成の後、711年(和銅4年)に作られたものです。
    この東面「維摩詰像土」は維摩経に説かれた場面で、病の維摩居士を文殊菩薩が訪ね問答をはじめます。
    これを聞こうと、仏弟子たちが集まった様子を表現しています。
  • 木造薬師如来及両脇侍坐像(大講堂安置)
  • 乾漆行信僧都坐像(所在夢殿)
  • 木造観音菩薩立像(救世観音)(夢殿安置)
    聖徳太子の等身像と伝えられる救世観音像は、行信が夢殿建立のときに本尊として迎えた霊像です。
    楠の一木造りで漆箔が施され、長く秘仏として厳重に奉安されてきたために金銅仏と見まがうような輝きをみせています。
  • 塑造道詮律師坐像(所在夢殿)
  • 木造観音菩薩立像(百済観音)(所在大宝蔵院)
    飛鳥彫刻を代表するこの像は像高209.4センチメートル。
    あたかも天を指すようなすらりと伸びた体躯に、優しくほほ笑みかける柔和な尊顔が華麗な光背に映え、見る人の心を惹きつけます。
    江戸時代には虚空蔵菩薩とされていましたが、明治に化仏のある透かし彫りの宝冠が見つかり、百済観音と呼ばれるようになりました。
    光背の支柱は竹を模して作られ、基部に山岳文が表現されています。
  • 銅造観音菩薩立像(夢違観音)(所在大宝蔵院)
    この像に祈ると悪夢が吉夢に変わるとの伝説から、夢違観音と呼ばれ、親しまれています。
    はつらつとした少年のような像で白鳳時代を代表する仏像です。もとは東院の絵殿におまつりされていました。
  • 銅造阿弥陀如来及両脇侍像(伝橘夫人念持仏)・木造厨子(所在大宝蔵院)
    藤原不比等の夫人で、光明皇后の母である橘三千代の念持仏とされる厨子入りの阿弥陀三尊像。
    蓮池を表した銅造鍍金の台かららせん状に立ち上がった三本の蓮茎の上に蓮華座が乗り、阿弥陀三尊像が安置されています。
    三尊の後の後屏は浄土の世界を見事に表現しています。
  • 木造観音菩薩立像(九面観音)(所在大宝蔵院)
  • 木造地蔵菩薩立像(所在大宝蔵院)
    明治初年の神仏分離令で大神神社の神宮寺であった大御輪寺から移されたと伝えられています。
    頭から台座の蓮肉部まで一木で作られ、内刳も無い重量感に富んだ一木造の像で、衣文の表現にも切れ味があります。
    威厳に富んだ表情で、地蔵菩薩とされていますが、神像であったという説もあります。
  • 乾漆薬師如来坐像(西円堂安置)
    八角形の裳懸け座に坐す、丈六の大きな脱活乾漆造で「峯の薬師」と呼ばれ、今も多くの人々からあつく信仰されています。光背は鎌倉時代の後補で二重になった円相には七仏薬師と千体仏が取り付けられています。
    木造聖徳太子・山背王・殖栗王・卒末呂王・恵慈法師坐像(聖霊院安置)
    聖霊院の内陣、奥の唐破風(からはふ)を付けた見事な厨子には、摂政像あるいは勝鬘経講讃像と言われる聖徳太子像が安置されています。
    笏を両手で持ち、豪華な冠をつける正装のお姿です。
  • 木造釈迦如来及両脇侍坐像(上御堂安置)

重要文化財

  • 銅造阿弥陀如来及び脇侍像(金堂安置)
    西の間に安置され、光背裏の銘文から承徳年中(1097~1098)に盗難に遭い、運慶の四男の康勝が三尊を造顕して、1232年(貞永元年)に供養された事がわかります。
    飛鳥の古様式を踏襲していますが、鎌倉時代の写実性がみられます。
  • 木造四天王立像(大講堂安置)
  • 木造聖観音立像(夢殿安置)
  • 木造聖徳太子立像(夢殿安置)
  • 金銅釈迦如来文殊菩薩像一座(大宝蔵院所在)
  • 塑造吉祥天立像(大宝蔵院所在、旧金堂)
  • 金銅薬師如来坐像(伝西円堂薬師如来胎内仏)(大宝蔵院所在)
  • 木心乾漆弥勒菩薩坐像(大宝蔵院所在)
  • 木造文殊・普賢菩薩立像(大宝蔵院所在)
  • 木造日光・月光菩薩立像(大宝蔵院所在)
  • 木造観音・勢至菩薩立像(大宝蔵院所在)
  • 金銅誕生釈迦仏立像1躯・金銅観音菩薩立像5躯(大宝蔵院所在、他)
  • 塑造梵天・帝釈天立像(大宝蔵院所在、旧食堂)
  • 塑造四天王立像(大宝蔵院所在、旧食堂)
  • 厨子入木造聖徳太子坐像 円快作(大宝蔵院所在)
  • 木造如意輪観音坐像(大宝蔵院所在)
  • 銅造観音菩薩立像(大宝蔵院所在、旧金堂)
  • 厨子入銅板押出阿弥陀三尊及僧形像・銅板押出如来及両脇侍立像(大宝蔵院・大宝蔵殿所在)
  • 木造舞楽面 35面(大宝蔵院・大宝蔵殿所在)
  • 銅造観音菩薩立像2躯(大宝蔵殿所在)
  • 木造薬師如来坐像(大宝蔵殿所在)
  • 木造釈迦如来坐像(大宝蔵殿所在)
  • 木造阿閦如来坐像(大宝蔵殿所在)
  • 木造阿弥陀如来坐像(像高92cm)(大宝蔵殿所在)
  • 木造阿弥陀如来坐像(像高34cm)(大宝蔵殿所在)
  • 木造聖観音立像(像高165cm)(大宝蔵殿所在)木造聖観音立像(像高182cm)(大宝蔵殿所在)
  • 木造普賢延命坐像(大宝蔵殿所在)
  • 木造天鼓音如来坐像(大宝蔵殿所在)
  • 木造千手観音立像(大宝蔵殿所在)
  • 木造弥勒菩薩半跏像(大宝蔵殿所在)
  • 木造弥勒菩薩坐像(大宝蔵殿所在)
  • 木造善女竜王立像(大宝蔵殿所在)
  • 木造光背(大宝蔵殿所在)
  • 磚製阿弥陀如来及脇侍像(大宝蔵殿所在)
  • 金銅僧徳聡等造像記(甲午年銘)(大宝蔵殿所在)
  • 木造伎楽面 1面(大宝蔵殿所在)
  • 木造行道面(聖霊会所用)10面(大宝蔵殿所在)
  • 木造菩薩面3面(大宝蔵殿所在)
  • 木造追儺面 3面(大宝蔵殿所在)
  • 木造十二神将立像(西円堂安置)
  • 木造千手観音立像(西円堂安置)
  • 木造地蔵菩薩立像(聖霊院安置)
  • 木造如意輪観音坐像(聖霊院安置)
  • 木造四天王立像(上御堂安置)
  • 乾漆阿弥陀如来及両脇侍像(中の間本尊)(伝法堂安置)
  • 乾漆阿弥陀如来及両脇侍像(西の間本尊)(伝法堂安置)
  • 乾漆阿弥陀如来及両脇侍像(東の間本尊)(伝法堂安置)
  • 木造梵天・帝釈天立像(伝法堂安置)
  • 木造四天王立像(伝法堂安置)
  • 木造薬師如来坐像(伝法堂安置)
  • 木造釈迦如来坐像(伝法堂安置)
  • 木造弥勒仏坐像(伝法堂安置)
  • 木造阿弥陀如来坐像(伝法堂安置)
  • 塑造金剛力士立像 2躯(吽形躰部木造)(中門安置)
  • 木造伝観勒僧正坐像(経蔵安置)
  • 木造阿弥陀如来坐像(三経院安置)
  • 木造持国天・増長天立像(三経院安置)
  • 木造地蔵菩薩半跏像(地蔵堂安置)
  • 塑造薬師如来坐像(食堂安置)
  • 木造薬師如来両脇士像(新堂安置)
  • 木造四天王立像(新堂安置)
  • 木造不動明王及二童子立像(護摩堂安置)
  • 木造弘法大師坐像(護摩堂安置)
  • 木造文殊菩薩騎獅像(宝珠院本堂安置)(宝珠院所有)
  • 木造阿弥陀如来及両脇侍像(北室院本堂安置)(北室院所有)

その他の国宝

  • 玉虫厨子
    宣字形の台座上に置かれた宮殿部は錣葺(しころぶき)の屋根、精緻に作られた組み物等で仏殿の形に作られ、金堂より古い建築様式がみられます。
    唐草模様を透かし彫りした銅板とその下には玉虫の翅が貼られていて、玉虫厨子と呼ばれています。
    下部の台座には正面に舎利供養図、背面には須弥山世界図、また側面には釈迦の前世説話「捨身飼虎図」、「施身聞偈」が描かれています。
  • 黒漆螺鈿卓
  • 四騎獅子狩文錦

法隆寺献納宝物

明治維新以後の廃仏毀釈により民衆による破壊にさらされ、さらに幕政時代のような政府による庇護がなくなった全国の仏教寺院は、財政面で困窮の淵にありました。

また多くの寺院は堂塔が老朽化し、重みで落ちそうな屋根全体を鉄棒で支えるような状況にいたっています。

文明開化の時代に古い寺社を文化遺産とする価値観はまだなく、法隆寺はじめ多くの寺院が存続困難となり、老朽化した伽藍や堂宇を棄却するか売却するかの選択を迫られました。

法隆寺は、1878年(明治11年)貴重な寺宝300件余を皇室に献納し、一万円を下賜されています。

この皇室の援助で7世紀以来の伽藍や堂宇が維持されることとなりました。

皇室に献納された宝物は、一時的に正倉院に移されたのち、1882年(明治15年)に帝室博物館に「法隆寺献納御物」(皇室所蔵品)として収蔵されました。

戦後、宮内省所管の東京帝室博物館が国立博物館となった際に、法隆寺に返還された4点と宮中に残された10点の宝物を除き、すべてが国立博物館蔵となっています。

さらにその後、宮中に残された宝物の一部が国に譲られ、これら約320件近くの宝物は、現在東京国立博物館法隆寺宝物館に保存されています。

(有名な「聖徳太子及び二王子像」や「法華義疏」などは現在も皇室が所有する御物です)

【次からのページ】
5ページ目は「法隆寺の歴史」
です。

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