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永平寺で開祖道元と禅の世界に浸り門前町を愉しむ

永平寺の大伽藍を歩き、ただひたすら坐禅を組んで、門前町の風情に触れる。

孤高の人・道元禅師の教えは、いまも永平寺と門前町に色濃く漂っています。

永平寺は曹洞宗1万5000寺の頂点に立つ精神的中心

曹洞宗の総本山永平寺は庶民の修行の場でもある

道元禅師(1200~1253年)は源氏の流れをくむ内大臣・久我道親の子として生まれたそうです。

しかし、幼くして母と死別しています。

少年のころ、すでに人生の無常を知ったようで、13歳で仏門に入りました。

その道元がはじめて開いた寺は京都の宇治にある興聖寺です。

しかし、古い仏教界から弾圧を受け、信者であった豪族の誘いで福井へ移りました。

そこで、道元が修行をおこない開眼したされる中国の天童山景徳寺によく似た土地を見つけ、大仏寺を建立しました。

2年後の寛元4(1246)年に永平寺と名称を変えました。

それが現在の永平寺のもととなっています。

道元が亡くなってから約120年後の応安5(1372)年、永平寺は後円融天皇から曹洞宗1万5000寺の総本山に指名されました。

また、「人間が生きていくうえで大切なものは、日常の立ち居振る舞いで、つまり食事や掃除などを丁寧にすることが大事なのだ」とする道元の教えは、庶民にも浸透し、参拝者は急激に増えていきました。

なぜなら、その教えの底に、人間らしく生きるための秘訣がひそんでいたからです。

かくして、永平寺は単に僧侶を輩出するだけにとどまらず、江戸時代には庶民にとっての信仰の中心としてゆるぎない存在になっていきました。

俳聖・松尾芭蕉が奥の細道の中で永平寺を訪れたのも、そのあまりに大きな存在に魅せられてのことでした。

永平寺に受け継がれる人間らしく生きる秘訣

連日多くの人々が訪れるわりには、京都などに比べ永平寺は観光地化されていません。

道元の清楚できびしい禅の教えが息づいているからです。

実は、永平寺には国宝級の仏像やお堂はありません。

焼き討ちされた歴史もありますが、そうした「”物”に価値があるのではない」という道元の教えによるところが大きいからです。

なので観光地化されずにきたのです。

永平寺はあくまでも修行道場です。

見物遊山ではないのです。

だから、座禅で行く人の料理は僧侶が作りますし、食事の作法も守らなければなりません。

つまり、修行の一端に関わることになるので、早朝の起床と坐禅、法話と続く厳粛な雰囲気に身を置きたいと真剣に思う人々がそれほど多いということなのです。

隅々まで掃除がいきとどいた永平寺の中と、それを取り巻く自然の景観は心が洗われるほど美しいです。

その美しさが参拝者の無心であるべきことの大切さを気づかせるのです。

昔も今も、永平寺は常に、人間らしく生きるための問い掛けを皆さんに発信し続けています。

永平寺はひたすらに坐禅に精進し自己との対峙を続ける道場

人間の体になぞらえた七堂伽藍の独特の配置

荘厳な佇まいを見せる永平寺の建物群のなかで、禅宗建築の骨格をなすのが「七堂伽藍(しちどうがらん)」です。

七堂伽藍とは法堂(説法道場)、仏殿(本殿)、庫院(厨房)、僧堂(坐禅道場)、山門(玄関)、浴室(浴室)、東司(便所)の7つの建物をさしています。

道元は永平寺を創建するとき、修行をした中国にある天童山の伽藍の造りになぞらえたと伝えれています。

永平寺では、これらの伽藍の配置を人間の体の構造に置き換えられています。

頭を法堂、心臓を仏殿、左手を庫院、右手を僧堂、腰を山門、左足を浴槽、そして右足が東司です。

七堂伽藍を線で結べば人体図を描くことになり、その線を建物をつなぐ回廊と思ってかまいません。

人間の体になぞらえるのは、道元の教えが”自己との対峙”にあるからといわれています。

雲水を待ち構える山門での詰問、その後の坐禅の日々

修行僧は一般的に雲水と呼ばれています。

風のおもむくままに各地を尋ね、物にとらわれることなく真実の自己を求めて行脚する修行僧のことで、これが転じて、禅寺に止まって修行生活を送る修行僧を「雲水(うんすい)」と呼ぶようになりました。

雲水が永平寺に修行に入る際の最初の難関が山門です。

そこで止められ、修行への気構えを厳しく問われます。

山門をくぐれても待ち構えているのは食事とトイレしか許されない坐禅の日々です。

それを越えてはじめて坐禅・食事・就寝をする僧堂への入室を許されるのです。

永平寺に難行苦行の修行はありません。

坐禅に精進し、自己を見つめながら生活を送ります。

しかし、それがもっとも難しいことです。

開祖道元と修行の原点”坐禅”

修行する行為自体が仏の行 静かに坐り続ける黙照禅

同じ禅宗でも臨済宗は壁に背を向けて坐禅を組み、公案という厳しい禅問答の修行が繰り返されます。

しかし、道元の唱えた修行の方法は坐禅でも、ひたすら壁に向かって黙々と坐り続けるものです。

修行して仏になるのではなく、修行する行為自体が仏の行であると道元は言っています。

つまり、いきなり仏の立場になることから修行がはじまるのです。

何かを求めるものではありません。

達磨大師がそうであったように、一切の物ごとを考えず、ただただ静かに坐り続けるのが黙照禅です。

それが”只管打坐”の教えです。

この方法は道元が修行した中国の天童山景徳寺の住職、如浄禅師の考えと一致するといわれています。

ただひたすらに坐禅をする。

簡単そうに見えますがこの”ただ”が難しいのです。

ともすれば「こんな思いをして何になるのだろう」とい考えが浮かんだり、「絶対に悟りを開いてみせるぞ」と力んだりしてしまうものですが、道元は「目的を持ってはならない」といっています。

目的があるということは、すでにそこになんらかのエゴが入り込んでいることを意味します。

そこで道元は「心身脱落、脱落心身」を唱えています。

脱落とは、文字のとおり抜け落ちることです。

つまり、気持ちをすべて外した、脱落したからだになりなさいというわけです。

追い求めさえしなければ、自分を昇華させるために弊害になる”目的意識”は自然と消えていくものだそうです。

そうなってこそ自己と向き合うことができると道元はいうわけですが、無目的に徹したときはじめて目的に敵うというのは不思議な考え方です。

それが”只管打坐”です。

空っぽの自分になって、「木や草や石さえも仏であると思えるようになりなさい」というのが道元の考え方です。

坐禅の姿は、もっとも安定した形です。

それも自然のひとつと考えられなくもありません。

永平寺の門前で愉しむ道元の歌碑巡り

永平寺を訪れたら、門前町に点在している道元の歌碑を尋ね歩くのがオススメです。

道元の「傘松道詠」から選ばれた9つに歌碑で、仏の教えが詠み込まれています。

文学的にも秀作ばかりです。

【春は花夏はほととぎす秋は月冬雪さえ冷やしかりれり】
自然と季節のあり様の中にこそ、人が目を向けなければならない心理がある。

【尋ね入るみやまの奥の里なれどもとすみなれしみやこなりけり】
修行でさまざまな土地を尋ね歩いたが、その根本は自分の身近に存在していた。

【いたずらに過ごす月日は多けれど道をもとむる時ぞすくなし】
人の歩むべき本当の道を実践することは実に難しい。一日一日が尊いのだ。

【この経の心を得れば世の中のうりかう声も法を説くかな】
法華経の心がわかるも者は、日常生活の中にこそ教えがあることを知る。

【守るとも思わずながら小山田のいたずらならぬかかりなりけり】
案山子は訳もなく立っているのではなく勤めをはたしている。一日の生活が大切なのだ。

【冬草も見えに雪野のしらさぎはおのが姿に身をかくしなりけり】
白鷺は雪に同化し身を隠す。こだわりを捨て相手の中に飛び込むことが大切だ。

【濁りなき心の水にすむ月は波もくだけて光とぞなる】
一点のくもりもない水のような透明な心に宿る月の光は、美しく光り輝く。

【朝日待つ草場の露のほどなきにいそぎな立ちそ野辺の秋風】
人生の無常を感じつつも夢を抱く人のために、秋の風よ吹かないでおくれ。

【水鳥の行くも帰りも跡たえてされども路はわすれざりけり】
水鳥は足で絶えず水をかき、警戒を怠らない。自分の本分と行く道を知ってる。

一人で泊まれる永平寺の参籠と参禅

永平寺には坐禅体験や写経体験などが準備されていますが、どうせ時間を取って行くのならもっと有意義に過ごしてはいかがでしょうか。

そんな時間を過ごすためには「参籠」または「参禅」を体験することをオススメします。

旅館に泊まるよりもリーズナブルな上、自己と向き合う時間を得ることができます。

参籠

「参籠」とは神社や寺院に一定期間籠ることを意味します。

永平寺の参籠は1泊2日で、永平寺での日々の修行に触れる体験プログラムです。

永平寺で一夜を過ごし、修行道場の雰囲気に見を入れることができます。

永平寺での日々の暮らしに触れ、禅の作法を学び、法話や坐禅などを体験するものです。

料金は一泊二日(二食)で8000円です。

参禅

「参禅」とは禅の道に入って修行すること、または座禅を組むことを意味します。

永平寺の参禅は、1泊2日または3泊4日で、雲水(修行僧)が日々行っている厳しい修行に準じた内容です。

禅の道場にて、坐禅三昧の時間を過ごします。

出家していない一般人が雲水(修行僧)と同じ修行体験ができるというものです。

料金は一泊二日(二食)で10000円、三泊四日(八食)で20000円です。

ただし、三泊四日の参禅研修は決められた日のみの開催となります。

全国の門前町のある寺社

桐生天満宮(群馬県桐生市)

菅原道真公を祭神とし、「天神さま」と親しまれる関東五大天神の一社です。

社殿の外壁には、精巧かつ華麗な彫刻が施され、内部にも彫刻とともに壁画が描かれています。

毎月第一土曜日には境内で古民具骨董市が開かれ、参拝者で賑わっています。

門前町が形成されたのは江戸時代初期です。

天満宮から南へのびる一丁目から六丁目までの本町通りが造られ、門前町として栄えた界隈は約400年を経た現在も、蔵造りの民家などが並び、古い街並みをとどめています。

上杉神社(山形県米沢市)

上杉神社は、かつて長井、伊達、蒲生、上杉格氏の居城があった米沢城跡にあります。

1923(大正12)年に米沢出身の文化勲章受章者、伊藤忠太氏の設計によって再建されました。

本殿右手にある神社の宝物殿「稽照殿」には、謙信公をはじめとする上杉家伝来の宝物(甲冑、刀剣、工芸品、服飾など)が展示・収蔵されています。

また神社の周辺には、酒蔵や機織りの店などが点在し、今も残る古い町並みを散策するのも愉しいです。

多度大社(三重県桑名市)

多度町は揖斐川沿いに開けた町です。

そこに聳える多度山の南麓に多度大社があります。

伊勢参りの人々がその途中で必ず参拝したくなるほど篤く崇拝され、参道脇には「宮人よわが名を散らせ落ち葉川」の芭蕉の句碑もあります。

多度大社では人馬一体となって崖を駆け上がる勇壮な祭礼「上げ馬神事」が行われます。

そうした人や物資が行き交う湊町として、多度大社の門前町として多度町は栄えました。

いまでも神社仏閣など古い町並みが数多く残っています。

智恩寺(京都府宮津市)

智恩寺は「三人よれば文殊の智慧」ということわざで知られている寺です。

奈良の安倍文殊院などとともに日本三大文殊の一つに数えられ、文殊菩薩がまつられています。

いまも多くの人々の信仰を集めていますが、室町時代以降は参籠をして行を積む霊場でした。

その智恩寺の門前町が宮津市、とくに文殊地区です。

霊場としての宗教色と、天橋立の松並木や海岸線の美しさ、水運によってもたらされる富によって門前町として賑わいが形作られています。

金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町)

象頭山(521メートル)中腹にあり、1368段もの参道の石段が奥社まで続いています。

海の守り神として信仰を集め、航海の安全を祈願する多くの絵馬が見られます。

江戸中期になると各地に金比羅講が組織され金比羅参りが盛んにおこなわれました。

門前町の琴平町には多くの土産物屋が並んでいます。

参道は江戸時代には金比羅街道と呼ばれ、多くの燈篭が備えられ、丸亀や多度津の港は参道口として栄えました。

その当時を偲ばせる燈篭などがいまも多く残されています。

まとめ

お寺や神社とその門前町は切っても切れない関係にあります。

修行の場でもあったお寺や神社の教えが門前町の中に脈々と受け継がれています。

お参りした後、そのまま帰るのではなく、門前町を散策してみてはいかがでしょうか。

きっと人間らしく生きる秘訣を門前町で見つけられると思いますよ。


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